心の変化球にご注意ください

人生長距離走☆のんびり急いで、ぼちぼち行きましょう。

怪我の思い出(それでも犬が好き)

  空前のペットブームを経て、最近は犬を外で飼う人は街中で滅多にお目にかかることはないと思う。昔は「番犬」という役割が、家の中で与えられている犬も結構いたんですよ、今は知らんけど。

 私が小学生の頃は、犬を家の外でつないで飼っているお宅もチラホラいて、学校からの帰り道、ちょっかいを掛けられている犬もよくいたなぁ。今なら考えられないかもしれないが、給食の残りを持ち帰る生徒が、通学路の飼い犬に良かれと思ってか、パンを与えていたのは良かった?のだが、次々と帰る生徒が同じ事をするものだから、私がその犬がつながれている家の前を通る頃には、うずたかく積み上がった食べ残しのパンとそれを見つめる項を垂れた犬の光景が出来上がっていた。

 そんなこんなで、子どもたちは、気まぐれによその犬にちょっかいをかけるのは、日常茶飯事で、私も御多分に洩れず、お犬様のご機嫌を伺いながら、時折り撫でたりしてその気まぐれに付き合ってもらったりしていた。ある日、ひとりで下校中、真っ暗な目の茶色い中型犬(やや大型)が、つながれているのを見かけ、その犬と目が合ってしまった。犬の気持ちなんか知りもしないのに、子ども心に、遊んで欲しいのかなぁ、寂しそうだなぁと勝手に判断して、撫でてあげようと近づくと、突然犬は牙を剥いて襲いかかってきた。太ももをガブリと噛みつかれ、歯形が深く食い込んだけれども、何とか逃げ出し家路に着いた。恐怖は無かった。痛かったなぁという記憶しかない。結局飼い犬ということで、医者にも行かず、家の市販薬をちょいっと塗ってそのまま日常生活を過ごしていたと記憶している。昔ってほんと病院行かなかったなぁ。今なら、すわ!狂犬病!とかの騒ぎになるんやろうなぁ。

 病院に行かないと言えば、子どものころは、散々怪我をする日々だったけれど、ホント病院に行かなかったなぁ。ブランコから落ちても、自転車ごと川に突っ込んで頭を切っても、自宅で痛みが治るまで大人しくしてるか、メンソレータムを塗ってはい!終わりって感じだった。今なら傷痕が残るのを恐れて、病院に行ったりするんだろうな。そう思うと大雑把な時代に子ども時代を過ごしてきたんだな。少子化の今なら、信じられないかもしれないね。

 ひとりドライブ

 最近、子どもが忙しい。週末に外出のお誘いをしても1回/3回は、断られる。身体も大きくなって、二度と私のお腹に戻る事はないだろうと思う程、充分に育った。それとは引き換えに、親の私はたっぷりと脂肪のついた、大して美味そうにも見えない中年太りの身体を手に入れた。

少しでも止まっているとどんどん肥満が加速しそうで、週末になるとムズムズと出かけたくなってしまう。 

 とはいえ、元来運動などは苦手な性分なのでスポーツジムなども気が乗らず、ドライブでお茶を濁す事が良くある。

 そんな気まぐれに付き合ってくれる友人も見つからず、先週末は、ひとりドライブとなった。

 最近は、インフラツーリズムとやらがブームだそうで、ダム見学も人気だと知った。関西で日帰り出来る場所を探していそいそ出掛けることにした。

 雨の降った翌日だっので、放流シーンなど見えるかな〜っと期待していたのだが、ダムは何処までも静かだった。人もあまり見かけず、物好きなおっさんと孫を連れたおばぁさんと思しき人のみだった。私も、孤独なおっさんの仲間入りなのねと密かに思いを馳せた。

 雨上がりの空は青く、緑はくすみのない緑で、眩しい光を浴びて輝いていた。ものすごい孤独を感じつつ心は平穏で、人は群れの中でしか生きていけないという呪縛が解けるような気がしていた。

 日帰り湯に寄って、足のマッサージを受けて帰る道すがら、孤独っていいなと思っていた

 

f:id:saboten4268:20230705163057j:image f:id:saboten4268:20230705163528j:image

f:id:saboten4268:20230705163535j:image

 

 

さよならコア・サーバー・・・

 しばらく”生けるしかばね”状態だった昔作ったホームページに、更新のお知らせが届いた。「いつか」一攫千金のブログ記事を書いて、不労収入を得ようと取らぬ狸の皮算用よろしく、妄想を膨らますことにも飽きてしまった。忙しい本業のせいにして、一文字も書かずにちびりちびりと更新料だけを自動引き落としで献上してきた。そろそろ自分も年貢の納め時、態度決定をせねばと思い至る。そうだ、みんな結果のついてきてる人は、毎日言い訳もせずにコツコツと書き続けた人だけなんだ。遥かかなたに見える目標に向かって、賽の河原の石積のようにただ目の前のことを、愚直に取り組める人だけに栄冠は与えられるのだ。自分はどうだ、言い訳ばかりして結果無駄なお金を駄々洩れているだけではないか。そう思い至って、自分のブログに昨日引導を渡してきた。あっけないものですよ。画面のボタンをポチっとクリックするだけなんだから。

 それでも、こっちのブログを残すことにしたのは、読み返してみると、こっちの方が自分が楽しんで書いているのが分かるからだ。唯一自分だけが読者だとしても、ここは続けられそうな気がする。

 

コンフォートゾーン

 ことさらに、難しい言葉が世間を騒がしている。この「コンフォートゾーン」という言葉も長らく耳にはするが、自分の”何か”が理解することを拒否して棚上げにしてきた言葉だ。今日、何気にYouTubeをながら作業で聞き流していた時に、スッと胸のつかえがとれるように落ちてきた理解があった。コンフォートゾーンに入っている時が最も自分のパフォーマンスが上がるらしい。なので、プロのサッカー選手がアウェイの球場で試合に臨む時は勝ちにはいかない。引き分けをねらっていくそうだ。相手チームを応援する観客の野次や罵声にさらされて、コンフォートゾーンに入るのが難しい環境に置かれるからだ。同じく、新しいことを始めようとすると、このコンフォートゾーンという概念が自分の行動にストップをかけるというのだ。しかも自分自身で。何度も繰り返し、試行錯誤が失敗に終わる理由はそこにあると確信できた一瞬だった。では、どうすればいいのか。その解決方法もそのYouTuberは語っていたが、私の耳にはまだ届かない。

 コンフォートゾーンを出ることになるからだと思う。でも、この環境から抜け出したいと本気で思っている。

コロナ鬱!?

 今日は、仕事が休みだったので、最低限の家事を済ませ、給油のついでに、久しぶりに洗車までしてきた(私偉い🎵)。そのうえ、 先日バタバタ自宅で洗濯物を取り込んだ際、鉢植えを床に落としてしまって、土が溢れてしまっていた瀕死のポトスを新しい鉢植えに移してあげたりもした。今は座椅子に寝転びダラダラとこの文章を書いている。何処に居ても、『やること』が地面から這い出てくるゾンビのように沸いてきて、『やりたいこと』に思いを馳せる時間が無い。死ぬまでこのゾンビに追いかけられて、一生を終えるのか…。と思うと、何だか暗澹たる気持ちに成ってくる。ゾンビをやっつけようと対決姿勢を見せるからいけないのだろうか。ゾンビにはなりたくないのだが。

掘り下げる

 ここのブログから足が遠退いて、1年?くらいにはなる。実は、書き始めはつまらない野心からだった。それが、現実が手に終えないほどに忙しくなり、あっさりとその野心を捨ててしまったという事だ。まぁ、その程度の野心だったと言えばそうでもある。

 毎回、ヒマラヤのように高い見果てぬ野心を打ち立てては、自分の未熟さに打ちのめされて、無かったことのようにリセットするを繰り返してきた。結局その野心とは、自分の本心を満足させる為の手段に過ぎなかったのかもしれないと、今になれば思う。手段ならば、達成出来なければあっさりと手放しても、なんの後悔も未練も無いわけだ。

 ならば、もっと簡単にダイレクトに、その本心を満足させる手段を見つければ良いわけだが、如何せんその゛本心゛とやらを、どこに落としてきたのか、いくら探しても目にすることが出来ない。

 我ながら、行動力はある方だと思う。見知らぬ人の中へでも、ずんずん踏み込む厚かましさも、以外と持ち合わせているので、答えさえ確信が持てれば、以外と早くたどり着けそうに思うのだが、ぐるぐると思考だけが空回りしている。

お引っ越し


f:id:saboten4268:20200713003057j:image
 こどもの進学と同時に、気分も新たに新天地を求め、引っ越しを決めた。

 本当は、もっと早く物件を決める予定だったが、本業に忙殺されたのと、コロナの影響で足止めを食らっていた。今回の物件は、今よりも広くなるので、家賃を奮発したと言っても微々たる金額なので、快適さをもう少し自分にも子どもにも許すことにした。

 まぁ、やっと人並みの住まい迄、グレードアップできたかと思う。なにせ、ワンオペレーションの我が家に関しては、何事も慎重にならざるを得ない。倒れれば、子どもにも影響が及ぶのだから。

 そんな風に、ちょっと緊張感を持った毎日を過ごしているにも関わらず、最近転職の虫が疼いて仕方がない。

 もともと、割り切った職業選択として、看護師の世界で日銭を稼いできたせいか、少しでも割りに合わない待遇を受けると、やりきれなくなる。同じ給与で、文句も言わず働いてるほうが、仕事の負担が大きいとはこれいかに。野心など持ち合わせていないお陰で、なぜかプライベートを犠牲にしなければならないほど仕事をする羽目になっている。手際やネゴシエーションの問題かと自問自答する毎日だ。そして何より有限な時間を犠牲にしてやっていることが、「好きでもない、やりがいよりも後悔の多い看護の仕事」なのだ。

 次に転職する事があれば、好きな事に熱中する時間を捻出出来る職場を見つけたい。

 人生は、有限なのだから。